けいドロ?ドロけい?

 大学生の時、小学校にインターンとボランティアに行っていました。昼休みになり子ども達と遊ぼうとすると、「ドロけいしよ!」と言われ「知らない遊びかな?」と見ていると、泥棒側と警察側に分かれるあれでした。関東圏と関西圏の違い?ぼくはけいドロでした。

 

 今回は、『学び合い』について書きます。今自宅待機中に一番読んでいるのが、この本です。参考にしているのは、上越教育大学教授の西川純先生の著作です。今4冊読みました。

 冒頭で大学生の時の話をしましたが、私が『学び合い』に出会ったのも丁度その時でした。最初に課題を先生が与え、残りの時間は子ども達同士で教え合いながら、全員が課題達成が出来るようにしていきます。「これで子どもたちは学んでいけるのかな?」と思ったのが正直な感想でした。しかし、私の思いとは裏腹に子どもたちは自ら学習を進め、得意な子が苦手な子に教えにいく姿が見られました。机に座って、先生の話を聞くことが授業だと思っていた私にとって衝撃的な事実でした。と同時に教師になったら必ず、『学び合い』に取り組もうと思いました。

 しかし、教師になってからは一斉指導をし続けてきたことにより、子ども達にその場を託すことが怖くなりました。現場に出ればなおさら、感じずにはおれないと思います。また、新学習指導要領に変わりつつあるも、この今の形態が染みつきすぎて、周りもこれが当たり前という雰囲気の中、どうしたらよいのものかと頭を悩ませていました。

 

 そこで、今回読んだここの4冊を読んでみたのですが、ただ単に子どもにまかすのではなく、しっかりとした仕掛け、理念があることに納得しました。

 とりわけ「一人も見捨てない」という理念にハッとさせられました。私達は授業づくりに際しては、できるだけ多くの子に分かってもらおうと努力します。しかし、その教科が苦手であり、そもそも教科書で何が書かれているか分からない子どももいます。その子は取り残されていないでしょうか。私たちが必死で説明しようとすればするほど、子ども達はチンプンカンプンになっていしまい、授業の終わりのチャイムが鳴るなんてことを私はよく経験したことがあります。

 子どもには子どもの言葉で教えられる方が入りやすいようです。また、ただでさえ、30人もいる学級を教えるので、1人に掛ける時間はどう考えても少なくなります。「子どもに子どもが教えられるの?」とも思いましたが、私達も個別指導をするときにそんな大層な言葉を使いません。「この表みて」とか「ここの計算が違うよ」などです。子どもたちは有能である。これも『学び合い』に欠かせない理念です。

 教育基本法第1条に人格の完成を目指すとあります。これは、全教育活動を通して達成されるべきことなので、学校行事や委員会、クラブなどの特別活動に限らず普段の教科指導でも求められることです。筆算ができるようになった!漢字が書けるようになった!だけで人格の完成に近付いたと言えるでしょうか。成績の上下関係なく「○○くんのおかげで筆算の仕方が分かった!」「○○さんと漢字の学習をして、今日の漢字覚えた!」とどんな子でも繋がれる子はこの先、食いっぱぐれることは可能性としては低いでしょう。なぜなら、知識は知らなければ、大概のことはネットが教えてくれます。それ以上の情報が欲しい人は、どうしますか?きっとそれに詳しい人と繋がりますよね。

こういう社会になったからこそ、人と関わる力はとても大切だと感じます。

何のために塾でも予備校でもなく、学校で学ぶのかを実感できるのが『学び合い』ではないのだろうかと感じました。

 

 もう少し書きたいことがありますが、長くなったのでこの辺で。読んだ4冊とは以下に記載してあります。まだまだ、勉強途中なので何か違うところがあれば教えてください。明日は、昨日紹介した伊垣先生のZOOMセミナー、土作先生のZOOMセミナーに参加する予定です。こんな状況でこそ学べることがきっとあると思います。このこともまた書けたらと思います。ではでは^^

 

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