学校がある意味とは・・・

忘れもしない2020年の2月27日。私は6年生を担任しており、卒業式に向けてある程度の見通しを立て「なんとか学習を終えることができそうだ」とほっとして、携帯をいじっていたまさにその時でした。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56131560X20C20A2MM8000/

「はっ??????」もう、それはそれは職員室中大パニックでしたよ。

「これって都心だけよね?」

「うちは田舎だから関係ないんじゃない?」

「でも、全国って記事に書いてあるよ・・・・・」

それからはみなさんご存じの通りです。自治体によって休校する日はバラバラでしたが、大統領の鶴の一声でその年度は終わりを告げました。あれが英断かどうかは置いておいて、もう一生味わうことはないであろう経験でしょうね。

 

【学校じゃなくても子どもは学べる】

コロナがなかったら、私はこう思えなかったかもしれません。なぜかというと、休校開け子どもたちは私達が出した課題をもってきました。ちなみに私はオンライン授業すらしていません。ですが、授業を始めると教えていなくてもできるのです。

公立校で突出して学力が高いクラスでもありません。ですが、家で学習した成果を学校で発揮することができました。その時「私いる意味あるのかな?」「学校って必要なの?」と私の中に疑問が浮かんできました。

もちろん家庭教育が優れていることも挙げられるでしょうが、私は常々思っていたことがあります。

「学校がなくても子どもは学べるのではないか。」

やはり私の考えは間違っていませんでした。情報社会の最先端に生まれた子ども達、いまやスマホやPCでの操作なんてお手のものです。分からなければ、調べる方法はいくらでもあるのです。

 

 

【学校がなくなったらどうなる?・・・】

こういう時は逆を考えてみましょう。もし子ども達が学校という場を失ったら、どうなるのでしょうか?


www.youtube.com

 

と自分が考えるまでもなかった(笑)本当になんでもある世の中です。この動画で言ってるように知識というものが非常に価値あるものに、そして今の文明は急速に退化していくかもしれません。また、子ども達の犯罪が増えていくなんてことも考えうることですね。

 

【学校は必要!だけど子どもに学びの選択余地を。】

社会のためにも、子どものためにも学校は必要です。ですが時代は変化し私たちが受けてきた黒板を見て、ノートを写すだけの教育は改革が必要です。様々な学び方がある今、学び方を選択をする権利をもっと拡充してあげてもいいのではないかと思います。例として、横浜創英中学校・高等学校 校長 工藤勇一(くどう・ゆういち)氏が挙げられます。

工藤氏は、学校改革の第一人者です。前麹町中でも校長として、宿題廃止、定期テスト廃止、固定担任制廃止など大胆な改革を行ってきました。改革という形だけでなく成果もあがっており、これからのモデルにもなるのではないかと私は思っています。

 

次回は、工藤氏の取り組みについてお話します。ではでは~

Enjoy Baseball

 

 

 

 改めてこの本を読ませてもらいました。

 指導者、教育者としての素晴らしい信念をおもちだなと思いました。

 

 ちょっと整理して書きたかったので、珍しく項立てしてみました。

 

 

 1.Enjoy Baseballとは?

 2.  森林監督の指導

 3.  野球をすることの価値

 4.  これからの野球

 5.  まとめ

 

 

 

 

 1. Enjoy Baseballとは?

 

これ は ただ 楽しく 野球 を しよ う という こと では なく、 より 高い レベル の 野球 を 楽しも う という 意味 です。 その 高い レベル に 到達 する ため には、 自ら 進ん で 取り組む という 意識 が すごく 大事 で、 そちら の ほう が 最終 的 には 高い ところ に 行ける のでは ない でしょ う か。

森林 貴彦. Thinking Baseball ――慶應義塾高校が目指す”野球を通じて引き出す価値” (p.75). 東洋館出版社. Kindle 版.

 

  特に森林監督は、著書の中で自ら考えるということを繰り返し述べられています。

 

 単純に野球をプレイすることをただ楽しむのではなく

 野球という競技において勝利するために今自分達には何が必要なのかを考えていく

 

 

 

 私はサッカー少年でしたので、野球についてそこまで知識があるわけではありませ 

 んが、サッカーと野球の違いくらいは分かります。

 

 人数が9人、塁があること、道具を使うこと、攻守がはっきりしている

 1球ごとに15秒ほどの間があるということでしょうか。

 

 

 

 とくに1球ごとに15秒ほどの間がある

 これはサッカーと野球の大きな違いです。

 

 

 この15秒間の間に

 いかに思考しながら次のプレイを考えるかが大事とのこと

 

 したがって1球の1球のプレイに意図をもたえることを強調しているそうです。

 

 

 よいプレーに見えても偶然が重なることもよくあるとのこと。

 そういうプレーには「さっきのプレーはなんで上手くいったの?」

 など徹して選手に自分のプレーを分析させることを心掛ける姿は

 「おれについてこい!」という指導者とは対極にいますね。

 

 2. 森林監督の指導

  

 1で書いたように、森林監督の信念の一つとして選手自ら考えてプレイすることを大

 事にしている。

 

 

 特に監督が指導をする上で大切にしていることが

 「任せて、信じ、待ち、許す」である。

 

 高校生だからと子ども扱いせず、選手の成長のために責任をもたせるために「任せ」

 

 体も心も自然と成長していくことを「信じ」

 

 目先の勝利に囚われず、長い目で選手の成長を「待ち」

 

 とはいうものの高校生であるからミスはする。そういうゆとりをもちミスを「許す」

 

 森林監督と真反対の指導は「任せず、信じず、待たず、許さず」です。

 そのような監督の下で仮に甲子園に行けたとしても、選手は何を学べるでしょうか。

 

 

 

 森林監督がすごいのは、甲子園を目指すということが選手たちの通過点と捉えている 

 ところではないでしょうか。

 

 

 高校野球を通して、自分たちの生き方を見つめさせ、よりよい生き方を考えさせる。

 まさに部活動で行うべきことが、慶應義塾高校野球部では行われていることが分かり 

 ました。

 

 

 3. 野球をすることの価値

 

 森林監督は野球をすることには、次の3つの価値があると述べられています。

① 困難を乗り越えた先の成長を経験する価値

 

② 自分で考える楽しさを知る価値

 

③ スポーツマンシップを知る価値

 

 スポーツをしたことがある人から言わせれば、どの競技にもあてはまることではない

 でしょうか。

 

 

 私もそうだと思います。

 ただ、いきなり「あなたのしているスポーツにはどんな価値があると思いますか」

 

 

 

 そう問われて答えられる人はどれだけいるでしょうか。

 

 

 

 指導者として、それをもっているかもっていないかでは、指導の質がかなり違っ

 てくるのではないでしょうか。

 

 話を戻しますが、特に③について語られたことが印象に残りました。

 

 スポーツマンシップとは

相手、 ルール、 審判 を「 尊重」 し、 敬意 を 持っ て 接する。「 勇気」 を 持っ て いろいろ な プレー に 挑戦 し、 強い 相手 に チャレンジ し て いく。 どんな 結果 に なろ う とも、「 覚悟」 を 持っ て、 きちんと それ を 受け入れる。

森林 貴彦. Thinking Baseball ――慶應義塾高校が目指す”野球を通じて引き出す価値” (p.14). 東洋館出版社. Kindle 版. 

 

 と捉えているそうです。

 「清々しさ」

 私の中ではスポーツマンシップとはこのキーワードでしたが

 森林監督のおかげですごく具体的になりました。

 

 それと対極にあるのがサイン盗みや打者が横目でキャッチャーの位置を確認するなど

 のいわゆるカンニングのようなプレーです。

 

 

 バレないようにうまくやる、ズルしてもOK

 

 

 そういうプレーで学ぶことはこのようなことでしょう。

 社会にでたことある人ならそれもありだろうと言われるかもしれませんが、

 勝利にこだわるが故に、そういうことを学ぶことは大切なのでしょうか。

 

 

 しかし、意外にそういうことをやってもいいという学校は少なくないそうです。

 高校野球界が麻痺しているとも言われていました。まさにこれからの高校野球を指導

 する上で大切なことに気付かれていると感じました。

 

 

 4. これからの野球

 

 スポーツは「やる」ものから「見る」ものになっていると言われています。

 特に、野球は小中学生の人口が減ってきているようです。

 

 

 子どもたちが「野球をしてみたい!」

 保護者が「野球をすることで子どもが成長した」

 と思ってもらえるには何が必要か

 

 監督はある選手が高校から大学に進学しエースとして頭角を現したことを例にし

 小学校、 中学校、 高校 は 成長 し て いく 途中 の 段階 に 過ぎ ない と 感じ ます し、 だからこそ、 より 野球 を 好き にさ せ て あげ て、 次 の レベル に 送り出し て あげる べき だ と 強く 感じ ます。 各 段階 で 身 に 付ける べき こと は 当然 あり ます が、 目 の 前 の 試合 に 勝ち さえ すれ ば いい という 価値観 からは 絶対 に 脱却 し なけれ ば いけ ませ ん。

森林 貴彦. Thinking Baseball ――慶應義塾高校が目指す”野球を通じて引き出す価値” (p.158). 東洋館出版社. Kindle 版. 

 

 野球は指導者や保護者のものではなく、子どもが今を楽しみ将来を生きるために必要 

 な力を育むものであるとの長期的な視点をもつことの重要性を言われています。

 

 選手の坊主強制、投手の級数制限など高校野球が選手ファーストに近づくために必要

 なことがやっと公で議論されるようになりました。

 

 日本の甲子園神格化などの価値観が、今回の慶應義塾高校の優勝をもって変わって

 ほしいと願うばかりです。少なくとも、私は今回ブログを書くことでそう思いまし

 た。

 

 5. まとめ

 

 何かと根性論で語られることが多い野球界が大きく変革するのではないかと感じるよ

 うな出来事でした。

 

 何を変えるにも結果が大切ですし、森林監督の信念、指導観、人間性どれをとっても

 学ぶことが多かったです。

 

 変革にはまだまだ時間がかかりそうですが、今回の優勝は大きな一歩になるでしょ

 う。

 

 教育界にも同じように変革がいることが山積みです。その一つ一つが子どものために

 教師のために、議論されるべきことが議論されることを願います。

 

 今あることが本当に必要なことか?批評的にみていくことも今回のことで得た学びで

 す。

 

 正しいことをしている人が正当に評価される世の中になってほしいなとも思います。

 

高校野球=甲子園であっているのか?

 

 まずは慶應義塾高校のみなさん優勝おめでとうございます!!!

 

 そして準優勝 仙台育英のみなさんもすばらしい試合でした!!

 

 

 

 野球は中学校の時の体育の時くらいしかやったことのない私が言うのもなんですが

 

 本当にいい試合でした。

 

 

 慶応義塾高校の森林監督におかれましては、高校野球を変えたいという強い思いがあ 

 ること、生徒の自主性を重んじ指導に取り組まれていることをこの本から感じまし 

 た。(まだ途中ですが)

 

 

 坊主頭がどうこうマスコミに取り上げられて、正直「しょーもないなー」と思ってい

 ましたが、これからの高校野球存続のためにも大切なことだなと感じました。

 

 教育業界にも言えることですが、古くから行われていることは変えることがとても難

 しいです。いや、変えないことの方が遥かに楽といったほうがよいでしょう。

 

 しかしそのことに疑問を持ち、メスを入れていき、周りから様々なことを言われたこ

 とでしょうが、今日結果をもって応えられたことはどんなに意義深いことでしょう

 か。

 

 

 

 また、ただ自主性を重んじるといっても、そんなに簡単なことではないでしょう。

 私の場合小学生ですが、子どもに任せて指導しようと思うのですが、気付けば自分が

 主導してしまっているなんてこともよくありました。

 

 ぐっと堪えて待つときもあれば、きつく指導することもあると記事のなかでも言われ

 ていますが、ある意味指導者が一番忍耐強くいないといけない指導だと私は思いま

 す。

 

 

 

 それだけでも大変なはずなのに、小学生の担任をしているって・・・・・・

 

 すごすぎでしょ!!!!!!!

 

 

 

 森林監督しかできないと言われればそれまでですが、私は教育者として学ぶべきとこ

 ろしかないと今回の甲子園で思いました。

 

 

 そういう意味でも

 高校野球は甲子園なのでしょうか?

 甲子園は高校野球になっているのでしょうか?

 全記事を読んでもう1度ブログ書いてみます。

 

 

 

 誤解のないように書いておきたいのは、なんにせよこのくっっそ暑い中

 すばらしい試合を繰り広げた全高校球児のみなさまお疲れ様です!!!!!!

 

 

 

 大会の中でみなさんが得たものは一生の宝物になりますので、大切に大切にしてくだ

 さいね。

これからのこと

 まさかね~

 そんなわけないでしょ~

 と思っていたけど、4回目の休職にはいってしまいました。はい。

 3回目の休職から復帰する時に、かなりじっくり時間をかけて教員を続ける選択をしたつもりでした。確かに、4月復帰してから忙しくはあったものの、ゆっくりやろうとと思い、自分でも力をセーブしたつもりでした。けど、まったくストレスに耐えられる体になっておらず、6月から休職しています。茫然自失、2週間くらいは何もやるき起きませんでしたが、やっとこさこうやって、自分の考えをまとめるきになりました。

 茫然」の意味と使い方や例文!「茫然自失」とは?(類義語) – 二字熟語の百科事典

 

 なんでも全力投球するつもりなくてもしてしまう。休みの日でもあれこれと仕事のことを考えてしまう。教員あるあるとはいえ、いつのまにかこれが自分自身を苦しめるようになっていたとはおもいませんでした。

 

 だって、5,6年はそれでできたんだから。

 

 原因はそこかしこに分かっている気がします。

 ①なかなか他人に相談できない(これは割と解決してきた)

 ②しんどい時に無理してしまう(これはよくある)

 ③なんでも請負人になっていた(自分のキャパは考えましょう)

 ④子どものためなら何でもしようと思える(教員として一番大切だけど一番やっか  

  い)

 ⑤当たり前の範囲が広すぎる(人との認識の違い?でもこれは直せない気が・・・)

 

 教員を続けたい気持ちはありますが、また復帰しても休職してしまうのではと・・・

 

 いろいろ考えて小規模校への異動も叶えてもらったのに申し訳なさしか感じません。

 

 とはいえ、まずは休みながら体調を整えていくしかないのであります。反省も後悔も嫌というほど去年やったのでもういいや~

 

 もし!仮に!万が一!

 教員を辞めるとしたら・・・・・

 

 自分がやりたいことってなんだろう?と思い、とりあえず書き出してみる。

 

 ・ 塾講師、家庭教師(公教育以外の教育活動もしてみたい)

 ・ 放課後等デイサービス(教員免許あれば児童指導員になれる)

 ・ イラストレーター(実は去年休んでるときにめっちゃ描いてました。ただ、1年

   以上描いていないので・・・これは副業でもできそう)

 ・ 保護猫活動(もはや職種ではない。最近猫を飼い始めました。)

 ・ キャンプ場経営(まずはキャンプ場建てなくちゃ)

 

 教員って免許しかもってないから、転職のことを考えると自分の強みやスキルを資格化できないのも悩みどころ。大人を育てるのと、子どもを育てるのも違うしね。

 

 去年は精神的に穴の底でしたが、今年は割と壁に張り付いてられているからここまで書けました。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

   

  

約1年ぶり

なんとも久々な更新笑

忙しかったという言い訳はしませんが、単純にダウナー期間に入っていました。全然どこにも書いていませんでしたが、ちょっと病休とる期間もあって中々教育書に触れたくないな〜とひたすら現実逃避していました笑

でも、最近すてきな同僚の方に出会ったり、その方の校内研修での刺激を受けたりして、またいろいろと読書できるようになってきました。

 

時間もできたので昨日、今日でこの工藤先生のインタビュー本を読破しました。

何かとてつもなくカリスマ性を秘めた人なのだろうと勝手に思っていましたが、そうではなく「学校教育は子どもが社会でよりよく生きるためにある」という目的遂行のために学校とはどんな場所であるべきかを模索していった人でした。

行政でのご経験もそうですが、目的と手段とをしっかり縦分けて考えられ、自分の役割をなそうとしていくことがすごいなー

 

特に、組合の方との交渉の時も最後まですり合わせようとする場面から、全ての人を巻き込んでいってしまう所も工藤先生らしさなんだろうなーと思いました。

 

1つの学校で変革を遂げることは難しいし、変革しても結局元の形に戻ることが多いですが、何より子どもが目的思考で動いているので、この先も麹町中の子はいい伝統を受け継いでいくのではないでしょうか。

少なくても、今の卒業生はこれからの社会を生きる力をつけて何のためにを問いながら成長することができるのではないでしょうか。

 

日々自分も学んでいったり、挑戦したりしたいなーと思えた1冊でした!よきGWじゃ。

あれまー

メッチャ日にちが空いてしまいましたねーそうなるだろうなと思ってましたが、約3か月ぶりとはね。文章打つのは嫌いではないのですが、やっぱ気が乗らないとね。

 

実は?職場復帰して2カ月?3か月程経ちましたが、中々の忙しさに息も絶え絶えでしたが、なんとか生き残りました。しかしエアコン工事の関係で他市よりは多めの夏休みなのですが、始まって早々胃腸炎になりました。コロナっていうよりも、まさかの急な異動の方がメッチャ疲れましたね。職場環境への慣れって大切。

 

そんなこともあり、とりあえず体調優先の夏休み中。もう2、3日はボーッとする予定でーす。

 

と言いつつも、いろいろと学級のことを考えています。自分の今後も踏まえて、今からの教育はどこに進んでいくのかを本読みながらうーむと言うのが癖になりつつあります。自分なりのキーワードはこんな感じ。

・自己選択、自己決定

・合意形成

・『学び合い』

・ライティングワークショップ

・リーディングワークショップ

・探究型の学習

・協同学習

 

自信もって自分の学級で意図的にさせてるのって合意形成くらいかな。学級会を実践してるんですが、もっと子どもたちに任せるのが2学期の楽しみかなーいろいろ読んで思ったのは、やっぱり日々の授業でこれから必要となる力を育てたい。ただのビックリドッキリメカじゃーん!わー楽しい!ってのも悪くないけど、それじゃ餌待ち雛鳥を育ててしまう。

自分たちでやりたいことをワクワクしながら、失敗してトライアル&エラーを繰り返して、なんか形は変だけど自分たちでできたね!ってそういうことをやりたいし、させたい。

 

もちろんそのために放任になってはいけないから、しっかり枠組みはこっちが作ってあげないといけないけど、どんな枠組みが必要か、どういう関わり方が必要かが分かってない。だから、思い切ったことできずにズルズル「まぁ無難な方法で行こうかー」ってなっちゃってるんだよね。こんな状況だから思い切れないだよねーじゃなくて、こんな状況だからこそできることってきっとあるはず。

 

無難な人生じゃなくて、難のある人生を進みましょう。悩みもがくことが何よりも近道。でも、身体は大切に。これホントに。

 

全部やろうとしてるからいけんのよ。スモールステップで1つずつ段を上がっていきんしゃい。と自分に言い聞かす。

もっとよくなる!そう信じようね。

もっとできる!そうそう。

もっと熱くなれよ!無理せん程度にしんさい。

 

泥団子

昔団地にいたことがあり、小さい頃は近所の友達とせっせと泥団子作ってました。べちゃべちゃな土をギュッギュッと固めて、最後にさらさらな土をかけてコーティングして出来上がり。そのまま、泥団子同士をぶつけ合って、バトルするもよし。泥団子を磨き上げて自分のコレクションを増やすもよし。人には当てなかったけど、いろいろな楽しみがあったなー一つのコンテンツをいろいろな方法で楽しむ。これこそ遊びの醍醐味!さぁ!みんな泥団子を作ろう!、、、最近の子はやらないのだろうか。

 

今日は、株式会社まちつく主催のファシリテーション基礎の講座に参加しました。ちょんせいこ先生の著作を読んでいたのでなんとなく分かっていましたが、実践してみるといろいろな発見がありました。特に、4人グループになり音読の体験をしてみて、声の高さや低さ、抑揚でこうも言葉の入り方が違うのかと驚きでした。

自分のノイズ(話している時に「えー」や「あのー」をいれてしまうこと)に気付けて、説明したり、指示を出したりする時には、聴く側の立場にもならなきゃなと改めて感じさせてくれた講座でした。

また、ZOOMの使い方も教えていただきましたし、オンラインでも人と繋がることはできるのだなーと感じることができました。

 

他にもいろいろ繋がれるツールはあると思います。きっとZOOM以外にもあります。特に気になってるのは学級内SNSです。クローズドなSNSだからこそ、できそうなことがたくさんありそうですね。やっぱり、今だからこそダイナミックに展開して欲しいなーと思います。是非、植松努さんのこのブログ読んでみてください。

「教育が変わるチャンスの時。だと思う。」

https://ameblo.jp/nyg1t10/entry-12596485259.html

 

本当に授業といものがyoutubeで充分という時代がすぐそこまできてしまっています。じゃあ公立学校の教員の存在意義はなんなのか?自分に問いを立てて過ごしていきたいものです。僕は今3つ答えがあります。

1.社会性を身につける場、主に合意形成を図ろうとすること。

2.自他尊重の精神を養う。

3.他人の学び方から学び方を学ぶ。

です。学校の先生の存在意義はなんでしょう?いつまでもチョーク&ボードだけの授業をしていればよいのでしょうか?まだまだ実践できていないので、大きなことは言えませんが、教師が変わらなければ、何も変えられない。そう思います。自分も現場に戻ったら勇気を出して、変えていきたいと思います。とは言ったものの遊び心を忘れたらいけんっちゃ^ ^ではではー